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90年ぶりに復活した天才外交官の遺言
~誰も知らない満洲事変前夜が解禁
- 上島嘉郎
- 産経新聞「正論」元編集長
この記事は上島嘉郎氏の見解を元に、経営科学出版が作成しています。
ここに1つの本があります。著者は当時、天才外交官と呼ばれた松岡洋右です。戦後の評価はというと、、、
・日独伊三国同盟を結び
・大日本帝国の国際連盟脱退を決定
・日本を世界から孤立させた軍国主義者
・そして東京裁判では「A級戦犯」の判決を下され、獄死…
そんな人物が書いた本なんてどうせ暴力的な主義主張にまみれて、気持ちが悪い…そう思われるかもしれません。しかし、ちょっとだけ待ってください。実はこの本、少々変わった事情を抱えているんです、、、
私たちのおじいちゃん達は卑怯者だったのか?
戦後生まれの私たち世代は、「日本はアジアに迷惑をかけた」と教育されてきました。ですが当時の日本を取り囲む国際情勢がどういう状況だったかまでは、あまり知られていないかもしれません。
実際は戦前のアジアでは、ソ連が南下し、中国は混乱。フランスはインドネシアを抑え、イギリスはインド、ビルマ、マレー半島に居座りました。オランダはインドネシアを奪い、アメリカは太平洋を渡りフィリピンを占領しました。つまり、日本は八方から攻められ追い込まれていたことは事実です。そして日本が戦争に進んだのも事実です。
ただ、今の日本ではあまりにも、結果論から見た後出しの批判が多すぎると思いませんか? 本当に日本はそんなに「バカ」で「野蛮」で「卑怯」な国だったんでしょうか? 当時の日本はどういう状況だったのか、また当時の人はどう考えなぜそうなったか…今から真実を知っても遅くはないはずです。私たちのおじいちゃんたちの名誉のためにも・・・
GHQが極秘に進めた焚書(ふんしょ)という国際法違反
GHQは日本の戦前の図書を17年間に遡り極秘に没収し私たちの目に届かないようにしました。これを「焚書(ふんしょ)」と呼びます。焚書指定にしたのは日本の歴史の改ざんであり国際法違反との指摘が専門家からもあります。
なぜGHQは国際法に違反してまで日本の書籍を極秘に没収し(個人を除く、全国の書店、古書店、官公庁、倉庫、流通から輸送中のもの)私たちの目に届かないようにしたのでしょうか?
GHQが焚書をしてまで消したかった戦前の日本
今は戦後74年です。当時のことを知っている人は少なくなりました。当時の私たちのおじいちゃんや先人たちが何を考えていたのかを直接聞ける機会は少なくなりました。
そして私たちは焚書をされたことで当時の日本がどんな状況でなぜ、戦争へと進んでいったのか、先人たちは日本をどんな風に守りたかったのか、いまの日本人に何を残したかったのか、当時はどんな苦難があったのかを知ることは難しくなりました。
ここで一つの焚書を紹介したいと思います。
著者は当時の天才外務大臣であり、満州鉄道の社長を歴任した松岡洋右です。松岡洋右は焚書の中でこう言っています。
“外交は主として経済問題がその基調を作るものである。お互いが満足にご飯を食べて行く、ということを主にその目標としているのである。
日を逐うて人口は著しく増加し、生活は益々困難となり、我国民は殆んど喉首を締められるような気持ちがして居る、生活の途を国際的に切り開き、せめて孫くらいまでの生活を保証して置きたい。すなわち大和民族の生存権の主張である”
松岡洋右は見抜いていた
今日、松岡洋右といえば、「国際連盟の脱退」を決め、その後「日独伊三国同盟」を進め、日本を国際的に孤立させた「軍国主義の象徴」のような“悪人”として、学校で教えられていますが、、、
不思議に思いませんか?
本当にそうだとしたら、なぜ松岡洋右の主張をありありと書いたこの本を、連合国は「没収した」のでしょうか?
本当に松岡洋右が「日本に戦争をさせた悪人」なら堂々と公開して、その醜態を戦後の日本人に晒した方が良かったのではないでしょうか?
しかしGHQはそうはしませんでした。そうしなかったというところに「戦前の真実」が隠されているのではないでしょうか…?
実は「日本を戦争へ導いた」とされている松岡洋右こそ、満洲事変を避けようと著書を残していたのです。産経新聞「正論」元編集長の上島嘉郎さんもこの本に関して「戦後は、日独伊三国同盟を結んだ”戦犯”として切って捨てられ、批判者もさして松岡の当時の言説を読んでいないのでは…。」とコメントされています。
そこでぜひ多くの人に真実を知っていただきたいと思い、この松岡洋右の著書「東亜全局の動揺」の復刻に取り掛かりました。そしてこの度、これを見てくれているあなたに復刻版をお届けしようと思いご案内いたします。
そして、ここまで読んでくれたあなたには「無料で」ご提供しようと思います。
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